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彼のために

いとう かなこ 2016.05.23 

いとう かなこ

 

あれから4年。ようやく辛いだけだった気持ちが、もっとがんばらねばという風に上がってきた。

南野さんの最高にイカしてた切り込み隊長っぷりを真似するんだ!

イイと思ったことは即行動。

ライブやりたかったら自分で企画書書いて自分で仕切る!

今まで全部南野さんにやってもらってた事を思い出して行動できるようになってきた。

だけど未だに裁判が終わらず、ご家族のことを考えると今でも辛くて涙が出る。

生き急ぐような人だったけど、まさか人に殺されてしまうなんて。

もう会えないなんて。

「武道館行けますよ」現実的で高望みしない私に南野さんは、一緒にいた5年間の間にそう何度も言ってくれた。「そしたら俺は舞台袖で泣きます」

ああ、泣かしてやるよ!

それは恥ずかしくて言えなかったけど心の中で本気でつぶやいたのが事件前夜。

明らかに南野さんの影響で、いつしか夢を見られるようになったんだ、と今わかる。

一度だけ南野さんの涙を見たことがある。

アルバム曲で私の姪の誕生に立ち会った感動を歌にした曲が仕上がった頃。

2人で居酒屋会議の途中、その曲が本当にイイ曲だ、と言って涙。

3人の娘を思うお父さんの顔してた。

そんな南野さんをもっと泣かしたかったけど、もう叶わないんだね。

だけど心を込めて、今本当に思うことを歌にして、南野さんならきっと泣いてくれるだろうと思える曲を作るよ。

そして娘たちが大きくなるまで続く6.10南野ロックフェス、今年はこの曲を歌います。

出番は一番最初です。

南野さんの命日6月10日金曜日午後5時スタート新宿ロフト。

お待ちしてます!!

kanako

平田博信 2016.05.09 

Swinging Popsicle

 

南野くんがいなくなってから 何かに迷った時に

「南野くんだったらどうしていただろう?」 とついつい考えてしまう。

 

南野くんのアイデアはいつも大胆で短絡的で 一聴すると不安なことばかりだった。

『大丈夫!大丈夫だから!』

いつもそれしか言わない彼の笑顔は ちょっと無責任にも思えたけど 抜群の推進力があって

何かあった時はいつもフォローしてくれた。

 

きっと僕以外にも 何かに立ち止まったときに

「南野くんだったらどうしていただろう?」 と考える人も少なくないだろう。

 

南野くんが生きていて 彼に相談したところで

『ヒラッチ、大丈夫だから!やっちゃおうぜ。』

って言うに決まっているんだ。

無責任な笑顔で誰よりも力強く。

 

生きている僕らは挑戦し続けなければならない。

プロデューサーとして裏方になっても

再び武道館のステージに立つことを諦めず

もう一度あのステージで歌うことをずっと夢見ていた南野くんのように。

hirata

藤島美音子 2016.05.08 

Swinging Popsicle

 

2012年の葬儀の際のブログ、

2014年のPure Nightのブログ、

2015年のPure Nightのブログ、
これらを掲載したいと思います。

2013年の一年目だけどうしても事情があって出られなかったけれど、
今後柳沼さんがこの活動を続ける限り、呼んでもらえるのなら可能な限り、出演したいと思っています。

それが、少しでも南野君への恩返しになるのなら。


(2012年6月)

南野信吾さんの通夜と告別式に行って来ました。

面と向かって、ありがとうを言う為に。


昔から彼と仲が良いのはポプシでは平田君ですが、とはいえ私も20代の頃から南野君を知っています。

(若い時に知り合ったから、私の方が年下なのに「南野君」と呼ばせてもらっていました。)

でも、本当の意味でその人柄に触れたのは、音楽の仕事を一緒にするようになってから。

 

音楽に対する誠実さと熱意、それを奏でる者への敬意と配慮、そして優しさ。

文字にすると何故か幾分陳腐に思えるけれど、決してそんなことはなく、

実際にこれを行動でやり通すことが出来る人はなかなかいないと思っています。

 

一緒に音楽を作って行く中で、彼には色々と思い出に残る言葉を頂きましたが、
中でも印象的だったのは、ホプシではなく他アーティストの仮歌のお仕事をした時、

「藤島さんの歌はいいですね。仮歌ではもったいない。」

とメールに一言添えてくれたのをずっと忘れずに覚えています。

仕事ゆえ、事務的なやりとりになるメール文面の中、全く予想してなかっただけに余計、

その何気ない感想がとても嬉しかったのです。

 

そして何より、私達の音楽を広めるために尽力してくれたこと、非常に感謝しています。

一緒にお仕事出来て、光栄でした。

 

通夜告別式共に、あれほど沢山の人々が弔問したのは、南野君の愛すべき人間性の証。

もしかしたらこの発言は不謹慎かもしれないけれど、とてもいいお式でした。

 

本当は悔しい。

とっても悔しい。

 

でも今、南野君に伝え続けたいのはこれだけ。

 

「ありがとう。」

 

(2014年6月)

昨日の南野君の追悼イベントにご来場の皆様、ありがとうございました。

 

梅雨の晴れ間というのはまさに昨日の事で、一日中一瞬たりとも雨が降る事はありませんでした。

彼の特別な力を感じました。

 

ライヴもとてもいいムードで出来た気がします。

そこでも、彼の特別な力を感じました。

 

ライヴ終わりに南野君のお父さんが近づいてきてくれて、握手を求めてきてくれた時、泣いちゃった。

それと、4-STICKSのライヴね。

彼の歌を同期で流して、他のメンバーがそれに合わせて演奏している中、
中央のタオルのかけられたマイクスタンドを見ながら、彼の生歌をもう一度聴きたい、と強く思ったら泣けてきて...。

あの、大地を揺るがす様に響く歌声を...。

 

写真にはうちのリーダーは映っていませんが、それは今回平田君が一番色んなバンドで参加していたから、忙しかったんです。

お疲れさまでした!

 

それにこの日は久しぶりに会う事が出来た方が沢山居て、それも大きな収穫だったなと。

企画の柳沼さんやスタッフの方々の尽力を含め、それもやっぱり南野君のお陰でもあるんだよね。

昨日位は恩返し出来るかなと思ったんだけど、結局彼にすっかりお世話になった気がします。

 

やっぱりありがとう、南野君。

これからもよろしくお願いします。

 

(2015年6月)

6.10は、南野君の追悼イベントでした。

裁判も始まって、それからは初めてのイベントだったけど、ライヴは終始和やかな空気だった気がします。

 

私はいまいち喉の調子が良くなくて、

さらにラババン(笑)をMCで宣伝し忘れて、

南野君に顔向け出来ないことばかりだけど、
ひとつだけ、彼に真っ先に伝えたいことがあるんです。

 

「先輩、私、年々BOOWYにハマってきてます!」

 

髙橋まことさんのライヴ、リハも観てましたけど、楽しかった!!

来年もっと、好きになってるすかね?

どうすかね?、先輩!

mineko

椎名宗之 2016.04.27 

Rooftop

 

人間は忘れる生きもので、忘れる力がなければ幾多の悲しみや怒りを乗り越えていけないとよく言われるし、それは道理なんだろうけれども、決して忘れちゃいけないことがある。

南野さんのことがそうだ。

なぜ尊い命を理不尽に奪われなければならないのだろう。

なぜ加害者はいまだにのうのうと生きていて、被害者の遺族は絶えず精神的苦痛を味わわなければならないのだろう。

南野さんが遺してくれたもの、伝えてくれたものは何なんだろう。

早いものであれから4年、ずっと考え続けている。

答えは出ない。

出ないまま、ずっと困惑し続けたまま、気がつけば南野さんの享年に追いついてしまった。

ぼくは新宿ロフトのスタッフ時代、BOICE~4-STiCKS時代の南野さんを知らない。

直接関わったのは、南野さんがGEORIDEのプロデューサーだった時にやらせてもらったカリキュラマシーンやPale Green、いとうかなこさんやワタナベカズヒロさんのインタビューだ。

だからほんのわずかな接点でしかなかったのだけれど、BOICE時代からの盟友である柳沼さんいわく「歩く情熱大陸」そのものの熱い人で、インパクトは強烈だった。

とにかくまっすぐ。

猪突猛進。

一度決めたら周囲のことは一切気に留めずに突き進む。

打ち合わせの席で、インタビュー後の酒の入った無礼講の席で、運転してくれた車の中で、P.I.G.スタジオの休憩スペースで、新宿レッドクロスの階段で、プロデュースするアーティストに懸ける思いや壮大なプランを熱く(時に暑苦しく)語ってくれた。

思いが先走って無茶振りも多々あったけれど、チャーミングでにくめない人だった。

そして、葬儀・告別式の時にご親族や友人の方々はもとより、親交のあった数多くのバンドマンや関係者の姿を見るにつけ、本当に愛されていた人なんだなと痛感した。

と同時に、こんなに愛すべき人のことを忘れちゃいけない、生命の尊厳を踏みにじった忌まわしい事件のことを決して風化させちゃいけないと思った。

だから、柳沼さんが音頭をとって『“Pure”Night』を毎年開催するのはとても意義深いことだと感じている。

南野さんの音楽に懸ける思いは、柳沼さん、高田さん、三田村さんを始め、『“Pure”Night』に出演する縁の深いバンドマンに託されていることを実感できるし、柳沼さんが亡き同志のために奔走する姿を見るにつけ思うのだ。

4-STiCKSの物語はいまなお現在進行形で続いていると。

思いのたすきリレーは終わらない。

終わらせちゃいけない。

すべては彼のために。 

shiina

柳沼 宏孝 2016.04.20 

4-sticks

 

下記は2012年6月16日に書いたものです。

 

昨日無事に信吾を送ることが出来ました。
お通夜告別式にご参列頂きましたたくさんの
みなさま本当にありがとうございました。
信吾がみんなに会わせてくれました。
また、事件当日から今もなお連絡を頂いているみなさま、ありがとうございます。
今、1人になって現実を少し受け入れてます。

 

「風を越えて夜を越えて時を越えて僕は行く
 大切なもの無くしちゃいけないものを
 今、抱きしめて行くそして歩きだすのさ」

 

信吾が書いた詞の一部です。

少し時間はかかるかもしれませんが、俺は信吾の魂と一緒に今日から1歩ずつまた歩いて行こうと思います。
まだまだ皆様には迷惑かけること多々あるかもしれませんがよろしくお願いします。
そして日本武道館へ向かってRe:startです。

弔辞でも述べましたが俺は「さよなら」は言わない。

ありがとう、信吾。

俺はいつまでか分からないけどまだこっちでやるよ。
だからそっちで少し寝て待っててくれ。

1日1日悔いの無いように生きて行くよ。

だからもうこの場を借りて色々書くのはこれで最後にします。

4-STICKS やぎ

 

あれから4年が経とうしている。

ここ書いてある通り俺はアイツの魂と一緒に歩いている。

災害もそうだが「風化」本当にものすごいスピードでやってくる。

毎年毎年開催させてもらってる追悼LIVE。

年々来場者も減少。

これはこのPureNightに限ったことではない。

いくつもの追悼LIVEを経験してるからわかる。

あの日から毎年この時期になると色々なことと葛藤する日々を送る。

「もうやらない方が良いんじゃないか?」「もう人が来ないんじゃないか?」等々。

でも、PureNightを始めようと思ったのはアイツのことを思い出す日というのがメインで始めさせてもらった。

1円でも多く支援金が集まればそれは何よりだが、アイツを忘れてほしくないから。

とある方の生誕LIVEで陣内さんが

「ある映画の一説で『人は二度死ぬ。一度目は現身の死、二度目は人の記憶から全て忘れ去られた時。』だから彼を忘れないでくれ」

とMCで話していた。

俺はアイツのことを忘れることは無いがたくさんの人の心の中で長く生きててほしい。そう願います。

あの事件のことも忘れないでほしい。

 

だからこの命日にあたる6/10はアイツの愛した新宿LOFTでアイツのために演奏したくさんの人とアイツの語り合う日にしてます。

 

少しでも時間があれば是非、ご来場頂き彼を思い出してください。

 

 

yagi

中條 匡亮 2015.06.10 

cafe&bar Joining

 

3年前は金沢からちょっと離れた山でデイキャンプをしてまして、昼過ぎの高田からの電話でした。

意味がわかんない、ただ茫然。

そのあと、茂さんや西片さんに電話。
ウチの車にはナビついてないし、スマホのワンセグも感度悪いし。
とりあえず下山、なんにもできない手につかない。帰宅後あまり会話もなく時間が過ぎた深夜かみさんが我慢できずに泣いちゃって、オレも大したこと言えずに。
長い1日、忘れらんない。

修豚さんの「神様なんていねぇ。」って言葉強く感じた。

オレの車には4-SticksのCD積んであって、ちょっとダウナーな時聴くとより凹んじゃって。

9曲目であがるんだけどね。

そのアルバムの曲ってBOICE時代からの曲もあればそうでないのもあって。

オレの手から離れた後の曲ってのは(元々オレの手にないっちゅうの!)、デモも聴いたことないし、出来上がる工程やまつわる話も知らない。

ただラストの曲はあれよね。

映画「アウトサイダー」へのオマージュだよね。

好きだもんなあ、あの映画。

当時も話してたけどオレがマット・ディロンでお前がポニー・ボーイだよ(笑)。

それはひっくり返ることはない、永遠にその立ち位置で。

ヤギ、サトパーをはじめ、今日のために動いてる出演者方々スタッフの皆さん。

オレは行けないし、何にもできなくてホント申し訳ないです。

今夜は派手に盛り上がっちゃってください。オレはオレで盛り上がります。

tadasuke

サトウヨシヤ 2014.06.10 

サトウヨシヤ

NON-POLY


ロフト終わりの麻雀にもう帰ってもいいのに朝まで残ってドリンク作ってくれたり、

その途中頼んでもいないのに4トラックの自作デモテープを爆音でかましたり、

髪を短くして不安なオレにジョニーデップみたいでカッコいいーすよと言ってくれたり、

ライブに来てはいいちこをボトルで差し入れてくれたり、

彼がいなくなる一週間前にオレは彼に飯を作りながらそんな話をした。

もちろんそんな事に対してのお礼なんて一言も言ってないしこれからも言わないだろう。

なぜなら彼はもういない。

今日生まれた子も100年後にはたぶんいない。

なんだろう、どうなってんだろう、このせかいは。

yoshiya
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